バッハ《ブランデンブルク協奏曲》2000
巻 頭 言
J.S.バッハの作品で、最も好きな曲は何ですか?と言う問いに、ブランデンブルク協奏曲と答える人は、決して少なくないでしょう。その快活さ、明るさ、変幻自在な音色などなど、魅力は尽きません。しかし、果たしてこれはまとまったコレクションなのでしょうか。6曲の無伴奏ヴァイオリンソナタと組曲、6曲のチェロ組曲、6曲のイギリス組曲にフランス組曲、そしてさらに6曲のパルティータなどなど、バッハの作品が6曲の曲集にまとめられることは決して少なくありません。ところが、どの曲集にも見られる共通の形式や楽器編成、また調性のまとまりが、このブランデンブルク協奏曲に限ってはことごとく裏切られるのです。いや、むしろこの6曲は、故意にできるだけ異なった、共通点のない作品を集めたかのようでさえあります。
しかし、今ベルリンの図書館に残っている1721年3月24日という日付と丁重なフランス語の献辞をつけて清書された総譜が、これもまたバッハのお気に入りの6曲のコレクションであることを告げているとも言えます。今回各曲の解説記事を快く送ってくれたM.マリッセン氏は、『ブランデンブルク協奏曲の社会的宗教的構想』という著書の中で、これが単にできあいのコンチェルトを集めたアンソロジーではなく、社会の構造を暗示した意味深いセットである、という考えを述べています。
確かに、第1番の冒頭でファンファーレを奏でる2本のホルンは、宮廷の示威行為であった狩猟を表していることはすぐに想像できますし、同時に6曲中唯一の宮廷風舞曲を取り入れた作品です。ここでバッハは宮廷への敬意を表するとともに、マリッセン氏の言うように、ホルンとオーボエや弦楽器で社会的階層が暗示されたのかもしれません。第2番では、トランペット、リコーダー、オーボエ、ヴァイオリンという全く異なった楽器がソロを受け持ちますが、これらは、いわゆる市の音楽家Stadtpfeiferがかならず学ばねばならない楽器群でもあり、器楽の各分野そろい踏みとでも言うべき編成です。そして、第3番では、いよいよ弦楽器が満を持して登場します。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが各3本づつという異様な編成が、3×3という聖なる数字の象徴であることは否めません。それだけに、第2楽章として、わずか2個の和音のみが書かれていることは、誠に不可思議であり、これはバッハのしかけた永遠の謎と言うほかはありません。
さて、後半の4番から6番では、いずれも1種類の楽器が特別に大きな意味を持って、ソロを担当します。ヴァイオリン、チェンバロそしてヴィオラですが、これらは、考えてみると、いずれもバッハ自身が演奏することのできた楽器なので、やはりこれにはブランデンブルク辺境伯に対する就職活動の意が込められていた、ということにもうなずかされます。バッハがコンチェルト様式に出会ったのは、ワイマールのヨハン・エルンスト公がユトレヒト大学への2年間の留学を終えて持ちかえった膨大な楽譜によるのですが、当時この様式はすでにドイツに紹介されていました。というのは、ジュゼッペ・トレッリが、すでに17世紀の終わりにアンスバッハのゲオルグ・フリードリヒ侯の下で活躍してからです。このフリードリヒ侯は、バッハがブランデンブルク協奏曲を献呈したクリスティアン・ルードヴィヒ侯の親類でもあり、両者には少なからぬ交流がありました。そのことによって、ドイツの作曲家はイタリア風のコンチェルトを試みていたでしょう。
しかし、バッハは単にイタリア風コンチェルトを模倣したのではありません。このブランデンブルク協奏曲に見られるソロとリトルネッロ(トゥッティ)の関係は、ヴィヴァルディなどに見られるものとは全く異なっています。つまり、両者が別の存在として常に対立するのではなく、本来ソロ群のためのエピソードがトゥッティに、またトゥッティのためのモティーフがソロへと自由自在に往来するので、そこに現れ出る響きは、その楽器編成とあいまって、もはやどの様式にも属していない、と言っても過言ではありません。
要するに、バッハは1曲1曲に全く異なった編成、様式、構造を当てはめながら、全体としての見事に秩序だったバッハ独自の世界を構築していったのです。コンチェルト様式をいち早くバッハ自身のフレージングとして同化させ、過去には例がないほど変化に富んだ濃密な曲がここに集められました。ここに表されている音楽的な「秩序」という概念は、バッハが後に手にするカロフの注釈つき聖書の歴代史上第28章21節の欄外に自ら書き込んだ文言によって、十分に意識されていたことがわかります。すなわち、『他の礼拝と同じく、音楽もまた神によって、ダビデを通じて秩序だてられたものに他ならない。』つまりバッハの意識の中では、言葉を持たない器楽も、その美しい構造と全体の構成によって、神によって創造された秩序だった世界に奉仕し、その栄光を称える器となっていたに違いありません。
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴 木 雅 明